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続いて、歴代諏訪藩主について解説して頂きました。 初代・頼水は本田豊後守康重の娘(貞松院)を正室に迎え、改易となった松平忠輝の身柄を預かるなど、 徳川氏との関係を深め諏訪氏の地位を確立したそうです。 又織田軍によって焼失した上社の社殿も新築したとか。 二代忠恒は、13歳の時徳川秀忠から忠の字を賜ったそうで、以後の藩主の通字は頼から忠へと代わったそうです。 忠恒は二度の大阪攻めに参加し、その功績により五千石を加増されました。 三代忠晴は、藩の支配機構を整えて藩体制を確立しました。 この頃から藩政が落ち着いてきたので、藩主が文芸を楽しむ文治政治が始まったそうです。 ちなみに忠晴は絵画や漢詩を得意としたそうです。 四代忠虎は学問に優れており、郡中法度・家中法度を発令し藩政整備の仕上げをしました。 また文芸にも秀で、なかでも俳諧に優れ闡幽と号していたそうです。 五代忠林は養子として迎えられたそうで、京都で育ち、病弱で江戸住まいが長く、藩政は家老か中心に担うようになったそうです。
一方学問や文芸に優れており、特に漢詩を得意にしていたとか。 藩主の中でも最も著作が多かったそうです。 |
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| 忠林の自作漢詩集(鵞湖詩稿)・写本(西遊記)等。 |
清昌院雛人形。 |
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人形は衣装は高価な生地で出来ており、大きく、国内最大最高級の雛人形だとか。 |
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左・練革黒皺鞄紺糸素懸威桶側丸胴具足(忠誠所要)。 右・紺糸威大鎧。 |
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