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六代忠厚は体が弱く大半を江戸で過ごしており、藩政を担っていた二つの家老、

二之丸諏訪図書家(頼忠の三男・頼雄が初代)と三之丸千野兵庫家(支族で譜代の家臣・千野頼房が初代)の権力がますます強くなっていき、

藩財政の立て直し策、さらに後継ぎ問題もからんだ御家騒動が発生(二之丸騒動)藩取り潰しの危機になったそうです。 

 二之丸騒動では、忠厚は隠居、二之丸諏訪家の頼保は切腹、二之丸家は廃絶となったそうです。 

 七代忠粛は、悪化した藩財政の立て直しを進め、八ヶ岳山麓の治水対策等を行ったそうです。 

 また藩校・長善館を設立したそうです。 

 八代忠恕は松平定信の娘・烈(清昌院)を正室に迎え藩財政の立て直しの為、

諏訪湖の浜中島の撤去と湖辺の開拓、養蚕業の奨励等おこなったが、

連年の凶作や江戸藩邸の焼失等が重なり、百姓一揆を引き起こしてしまったそうです。  

大飢饉対策として、大型倉庫2棟を(常盈館)造ったそうです。

   
   
長善館教科書(儒学‣習礼・弓・砲術・剣術等)。  

 常盈倉額(長善館儒学師範・勝田鹿谷揮毫)

   
   
延宝8(1680)城普請許可書。   

添付された地図。

   

地図には、城の周りは青く塗られており、江戸初期には城は湖に囲まれていたのがわかります。

   
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