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最近名前が付いたのか延命桜と呼ばれるそうです。  高さ15m、目通り4.3mの江戸彼岸枝垂れ桜。 

 忠恒公が大阪夏の陣の際に苗5本を持ち帰ったものの1本だそうです。 

 そうすると、樹齢は400年以上となります。 

 他には、温泉寺の忠恒桜、高木の枝垂れ桜、岡谷の昌福寺の桜があるそうです

忠輝公の墓は、高島藩の墓とは庭を挟んだ向こう側にありました。 

  大阪夏の陣に遅れ、24歳で勘当、35歳で諏訪へ配流、高島城で92歳まで暮らし亡くなられたそうです。 

 赦免となったのは、1984300回忌のおり前の山田和雄住職の要請で、18代徳川恒孝氏により赦免となったそうです。

寺町三ケ寺の桜:手長山二尊教院法光寺−浄土宗

1560年上原五山の報明寺と光明寺を合併し徳照山二尊教院報光寺となったのが始まりで、

上原城落城後、高島城が築城されたのを期に1592年手長神社下に移り、手長山二尊教院法光寺となり、

明治まで手長神社の別当寺を務めてきたそうです。

 1633年寺は全焼。  1645年に現在の地に移って来たそうです。 

 1719年本堂、1734年庫裏を修造。  弘化2年・1845の火災では、山門の類焼ですんだそうです。

   
   
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