境内を案内して頂きました。
耐震の為に屋根を銅葺きに替えた時に降ろされた、鬼瓦。
前回2010年訪れた時は、丁度工事も終わって間もなくだった気がします。
三代藩主忠晴公の息子が13才で夭折、墓所として置いた地蔵が、両親をしたい城を向くといわれた、城向き地蔵。
貞松院殿墓。 夫頼水公の墓は頼岳寺・曹洞宗に、二代忠恒公の墓は開基した温泉寺・臨済宗にあります。
庭には、ちょっと珍しい花が咲いていました、シキミだそうです。
先ほど見せて頂いた、部屋にある廊下は支え柱の無い、うくいす張りの廊下になっているそうです。