県宝・一の蔵・二の蔵(1801以降)。 県宝・裏門・皇女和宮が1861年宿泊の折、出戻りの無き様、出立時に潜ったとされる裏門。
表門の反対側にあったものを明治18年以降に移設したそうです。
当主の間・和宮使用のお茶道具が拝領の器として展示されていました。
岩波氏は南北朝時代の武士・小笠原長氏の四男・丸茂太郎が小県郡岩波の郷に住んでいたのが始まりで、
1617年に小笠原氏が明石城に転封後、諏訪藩御用部屋祐筆となって諏訪に住んでいたそうです。
1668年・元禄元年に17代岩波太左衛門尚方氏が下諏訪本陣問屋役を命じられ着任したのだそうです。