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奥州争乱の官軍援護に向かう諏訪神。   

 善光寺三尊と対話する諏訪明神。

縁起()1281(鎌倉)の蒙古来襲で始まります。  

この時、諏訪神は大龍となって、現れたそうです。  

 132129(鎌倉)の奥州争乱の時も、諏訪神は大竜となって、官軍を助け反乱軍は降伏したそうです。

 縁起()の最後には、仏教伝来552年より前に来日した善光寺三尊の所に毎夜午前四時に諏訪明神が現れたそうです。

善光寺境内(城山)には水内郡建御名方田冨命彦神別神社があるそうで、

諏訪神が仏教に帰依する事が多かった事を示しているそうです。

諏訪大明神画詞:歴史画につい
承久の乱・諏訪大将・諏訪小太郎信重。
   
先生は、まだ退院して間もなくでしたが、ここで、先生からお借りした絵の解説をして頂ました。

最初は、平成版・諏訪大明神画詞の表紙にもなっている、諏訪小太郎信重の話です。

承久の乱(後鳥羽上皇(貴族)と北条義時(武士)の争い)で、

北条氏から出兵を要請された、大祝敦信(盛重)は神の判断を仰ぎ、

早速に鎌倉の要請に応じて発向すべしとの事で、自分は大祝で郡外不出の掟もあり、

長子の小太郎信重を大将として出陣したそうです。

表紙絵の方は、画詞27段に有る様に、開戦地の大井渡墨股で、

明神の宮カラスに守られ浅瀬を渡る前の姿が描かれています。
   
   
   
   
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