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熊澤会長挨拶。   小坂(諏訪)円忠。

円忠は諏訪盛忠の子で、上社の支族の松代の地頭小坂氏を継ぎ、鎌倉幕府の奉行人だったが、

北条氏滅亡の後、夢窓疎石の仲介で足利氏に仕官したそうです。 

 中先代の乱以降衰退した、諏訪宗家の復興を願い、

無くなった諏訪社祭絵の再興もかねて、編纂されたのが諏訪大明神絵巻だそうです。 

 諏訪上社の近くに安国寺(臨済宗)を建てたのもこの人だそうです。

諏訪大明神・建御名方神。

神功皇后三韓征伐と諏訪神。

画詞の最初の5巻は縁起で、上中下の3巻は、諏訪大明神の縁起、

追加の上は大祝の縁起、追加の下は御頭役人の縁起になっています。  

縁起上巻は、まず出雲の国譲りから始まります。

 諏訪に追われた建御名方神が、諏訪の地から出ない事を条件に諏訪大明神となった話。 

 次が西暦200(弥生)に神のお告げにより、神功皇后が新羅征伐に向かった時、

諏訪・住吉神は援軍として参加した話です。

開成皇子写経と諏訪神。  

坂上田村麻呂奥州征伐を助けた諏訪神。

   

桓武天皇の御子・開成王子(真言宗)の写経のおり、白鷺池の水を提供した諏訪神。

  仏教を保護した話は、他にも伝教大師・慈覚大師・良忍上人(天台宗)との関わりの話が縁起()に、

妙通上座(臨済宗)との話が縁起追加()にのっています。 

 縁起()は、801(平安)の坂上田村麻呂の奥州征伐から始まります。

  この時、諏訪神も参加し、城に籠る安部高丸を流鏑馬の演技で誘い出し、打ち取ったそうです。 

 桓武天皇は、諏訪大明神の霊験を喜び、諏訪神社に申寅年には、

一国の貢税を永代の課役に当てるというもので、その後の多くの神事を支える事になったそうです。

   
   
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