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開かれた盆地:行き交う自然の恵

松本盆地には幾つもの街道が集まっており、そこでの物資の流通を助けたものに中馬という制度があったそうです。

  最初は農家の副業で、馬・牛を使って運搬していたそうですが、

宿場での継馬をしないで付け通しで行う専業となっていったそうです。 

 伊那街道から始まって信濃全体に広まっていき、主な所で馬の数も伊那郡7849疋、諏訪郡4680、筑摩郡2525疋だったとか。  

  中馬絵馬(1856池上篤山)

松本は、薄川・女鳥羽川の二つの川出来た扇状地でもあり、湧き水の豊富な所でもあるそうです。

松本は温泉の楽園でもあり温泉・名所を訪れる人達によっても盆地は開かれていったそうです。

  明治時代の温泉番付表。 

 浅間温泉のお殿様の湯(枇杷の湯)は、石川数正の三男・昌長の子石川昌光が、

松本城主石川家が改易になったおりに、小口楽斎と改名して暮らしていたところだそうです。

   
   

温泉は文人の作品にも登場してくるそうで、田山花袋の温泉めぐり(浅間温泉)、島崎藤村の一人(山家温泉)等が紹介されていました。

   
   
   
   
   
   
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