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八劔宮が武田信玄の寄進だとすると、蟇股の紋も武田菱だけあれば良いわけですが、

移転に際して再建に寄与した、高島藩の紋入り蟇股が追加されたのかもしれません。 

 信玄寄進の時の物が何処まで残っているのかはわかりません。   

   
   

高島に有った頃の神社の造営は、最初は漁民、後に造船業者(廻船業者もあったかな)により行われていたそうですが、

現在の拝殿は1848年九代藩主・忠誠の寄進で建てられたものだそうです。 

 前回、訪れた時、横山先生から、建物は立川流三代冨重が造り、彫刻は弟の専四郎冨種が彫ったのではと聞いた事がありました。 

 近くの、北小路は大工街だったそうで、大隅流・立川流の大工達が暮らしていたそうです。 

 高島から移った、船大工の人達も居たのかもしれません。

   
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