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慈雲寺は下社大祝・金刺三満貞が春宮の鬼門の守りとして、

鎌倉五山の一つ建長寺の宗の国から帰化した一山一寧禅師を招いて1300年に開山した寺だそうです。 

 しかし、金刺氏は1518年諏訪氏との抗争に敗れ、萩倉要害が落ち、

武田信虎の元に逃れたが、1531年金刺昌春は戦死、

慈雲寺も戦火にあったのかは不明ですが、一時は衰退したものと思われます。 

  その後、恵林寺の住職も務めた、天桂玄長禅師が住職となり、

親交の深かった武田信玄が中興開基となって復活したそうです。 

 寺紋は、今も武田菱。  

1806年火災により、本堂・庫裏・宝蔵は焼失、本堂・庫裏は

1808年に初代立川和四郎の弟子・上原市蔵正房によりで再建されたそうです。 

 本堂扁額の文字は、後宇多法皇の筆を基にしたものだとか。

   
   

前庭の枯山水の帰錫庭は、昭和になって造られた、四万十川源流の巨石10個で釈迦の十大弟子を表わした庭だそうで、

神戸祥福寺・僧堂師家・河野太通老子の作庭だそうです。 

 施工したのは、京都の植音さんだそうですが、今は小口造園さんが整備を担当されているそうです。 

  本堂と渡廊下で繋がる、開山堂。

   
   

まだ新しい、清浄光殿。   建物全体は、禅様によるものだとか。  

雨の庭園は、緑も生えて一段と美しく見えました。

   
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