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山辺学校歴史民俗資料館:県宝

兎川寺の前には、山辺学校が有ります。  

 ここは現在、歴史民俗資料館になっており、

ここで里山辺の事を学習したいと予定されていた様ですが、

耐震工事の為今月末まで休館という事で見学出来ませんでした。

  明治の廃仏毀釈で兎川寺が廃寺となり、

1873年兎川寺の本堂を仮校舎として兎川学校が発足したそうです。

  1885年里山辺・入山辺の2村により現在の校舎を新築、

翌年には山辺学校となり1928年まで校舎として使われて来たそうです。

  以後は、幼稚園や役場として使われて来たそうですが、

1981年に山辺学校歴史民俗資料館となったそうです。 

 建築は開智学校建築にも参加した佐々木喜十の指導の下に、

擬洋風建築の校舎として造られたそうです。 

  開智学校の方は豪華で、ギヤマン校舎と呼ばれたのに対し、

こちらは質素で障子学校と呼ばれたそうです。

恵日高照山兎川霊瑞寺:真言宗智山派

兎川寺へは、マリオ倶楽部でも8年ほど前の117回に一度訪れた事があります。

   寺の創建は聖徳太子とも言われているそうですから、

聖徳太子が摂政となった600年〜死去した622年の頃かも知れません。 

 長野善光寺が出来たのが、642年といいますから、

仏教がこの地に広まっていたのは、仏教伝来が538年とされているので、

それに近い頃からなのかもしれません。 

 最初は、善光寺同様天台宗・真言宗合わせて24坊あったそうですが、

1332年の南北朝の争乱の時、天台僧徒は比叡山で戦い、天台12坊は廃墟となったそうです。

  室町時代になって、小笠原氏の祈願寺となったそうですが、

武田軍の林城攻略のおり、暴徒により寺は荒らされてしまったとか、

その後松本藩となってからは保護されて来た様ですが、

明治になって当寺が須々木水神社の別当寺であった事もあってか、

戸田光則の激しい廃仏希釈に合い廃寺となったそうです。

   
   
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