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拝殿の奥に、左、林・千鹿頭社、右、神田・千鹿頭神社が並んでいました。 林・千鹿頭社は、1740年松本藩二代藩主・戸田松平光雄の寄進で 牛伏寺仁王門を造った中根弥七の作だそうです。 右の神田・千鹿頭神社は1715年高島藩四代藩主・諏訪忠虎の寄進で 長地東堀の渡辺元右衛門の作だそうで、いずれも松本市指定重要文化財になっているそうです。 小笠原氏が1617年明石に加増・移封となった翌1618年に 高島藩二代藩主・忠恒が大阪の陣の功績により五千石の加増となり、 牛伏寺やこの辺りまでが領土となったそうで、
松本藩との境はこの神社の間となっているそうです。 |
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神田・千鹿頭神社。 |
正面蟇股には、上社の三つ葉梶。 |
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林・千鹿頭社。 中央には、諏訪神社分社の1本立梶の葉。 神舎三面に千・鹿・頭の文字入りの蟇股が付いています。 神田・千鹿頭神社の祭神は、宇良古山(浦湖山)にあったものを奈良時代末に 田村軍副将軍・藤原緒継と林の里長・六郎公が先の宮の辺りに移し、 中世の戦乱で社殿も焼失し、現在の地に移したものと考えられており、祭神は千鹿頭神と考えられます。 千鹿頭神は漏矢神であり、神紋も柏となるはずですが、 千鹿頭神社の総本社となる諏訪市豊田の千鹿頭神社も祭神を千鹿頭神、内県神ととなっており、 神紋も上社摂社として三つ葉梶になっているそうです。 林・千鹿頭社の方は、神田側が高島領となったので分けられたという説もあるそうですが、 諏訪領となる以前の1615年の記録にも本殿を二社建てたという記述があるそうで、 林・千鹿頭社は戦乱で焼かれた、林の鎮守神・諏訪神社を
神田の千鹿頭神社と併設して造ったという説の方が当たっている様な気がします。 |
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