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駐車場からは、千鹿頭神社が良く見えます。 

  参道をくだって、千鹿頭神社に近くなった所に兎田の碑があります。 

  三河松平氏の祖先・得川有親が諸国放浪の途中この地を訪れた時、

小笠原氏庶流の林藤助光政が兎を狩ってもてなしたそうで、

江戸時代になって寺所有のこの辺りの田地が免田となったそうです。 

 小笠原秀政の父で、木曽義昌から深志城を奪還した貞慶が家康に仕えたのは1582年の頃でさらに後になります。

千鹿頭神社:神田・林

千鹿頭神社への参道は、林地区側と神田地区側の二か所あります。 

 今回は林側の参道を登ります。 

 両部鳥居には千鹿頭神社の文字がみえます。 

  参道を上ると左手に林・千鹿頭社の社務所があり、

手前には銅葺き屋根の神田・千鹿頭神社の拝殿、

奥に茅葺の林・千鹿頭社の拝殿があります。

神田・千鹿頭神社拝殿。 林・千鹿頭社拝殿。
   

(神社庁の届では、林が千鹿頭社・神田が千鹿頭神社となっているとか) 

  千鹿頭神は洩矢神の御子神で守矢氏の三代目に当たるそうです。 

 前宮・御頭祭の鹿の調達も行ったのか、狩猟の神として関東・東北に広まっているそうです。

  千鹿頭神は建御名方命の御子神・内県神と同一視される事もあるそうです。 

 祭事が千鹿頭神から児玉彦命に引き継がれてから、

千鹿頭神は諏訪の北境であった宇良古に移り、

林の里長・林六郎公の息女・宇良古比売命と結ばれ神田に移ったそうです。 

 ちなみに、千鹿池は浦湖とも呼ばれているとか。

   
   
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