3/16

上の駐車場てまえの玉垣に、太田信義氏と堀内伊太郎氏の名前の刻まれた門柱がありました。 

  初代の太田胃散と浅田アメの創業者によって奉納されたものだそうです。 

 社務所の辺りに大祝邸はあったそうで、大祝の始祖とされる諏訪有員が

大祝の職について後の居館で戦国時代までここに有ったそうです。

まずは手水舎で身を清めてからお参りです。 

 内御玉殿・(昭和7年改築) 諏訪明神の霊が宿る御神宝(弥栄の鈴・真澄の鏡等)が保管されている所だそうで、

ちょっと小ぶりですが、8歳ぐらいの大祝が御神宝を身に着けて現れるには丁度良い大きさなのかもしれません。

十間廊(神原廊)・諏訪祭政の行われた処で、

中は大祝の座・上段、家老、奉行五官の座・中段、御頭郷役人の座・下段の三段に分かれているそうです。

弓立石(矢立石)。  

諏訪照雲頼重の供養塔。

弓立石は、大祝の居館内庭にあったそうで、近くには笠懸馬塲・明神馬場も有ったそうです。 

 今回の鎌倉街道にも関連の深い、中先代の乱で亡くなった諏訪頼重の供養塔にもお参り。

   
   
   
寺社一覧へ 目次へ・・・次ページ・・・戻る