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龍澤山桂泉院:曹洞宗

桂泉院山門。   

山門脇の庚申塔。

参道石段の左右に、守屋貞治が56歳で、海岸寺での百体観音製作中に戻って作ったとされる、

延命地蔵と准胝観音がありました。  

 顔は当寺の和尚に良く似ているそうです。  市指定文化財にもなっているそうです。

 桂泉院は、南北朝時代1353年に高遠城主・高遠太郎家親(木曽義仲の子孫)

が曹洞宗永澤寺の月哺禅師が訪れた時、城の鎮護寺として、城内に法憧院を開いたのが始まりだそうです。 

  高遠美術館の近くの法憧院曲輪が有った所だそうです。 

 織田軍に敗れて、落城、豊臣方の毛利氏が高遠に封ぜられるまでの、

城を武田家家臣内藤昌月が守っていた時、補陀寺の僧・荊室広林(昌月の弟)

が法憧院を訪れ、1592年に一般人の参詣も出来るようにと、

寺をこの地に移し、大龍山桂泉院としたのだそうです。  

   
   
   
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