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本堂横に三つの墓石が並んでいます。 

 向かって左は初代藩主・保科正光、中央が正光の父で高遠城主・保科正直、

右が、勝頼の母・諏訪御料人の墓となっているそうですが、

諏訪御料人の墓は、戒名は同じだが、別人のものではないかとの事でした。  

   本堂屋根には保科家家紋・角九曜と、徳川氏家紋・居合わせ三つ葵が描かれていました。

本堂脇の広場で、北原さんに高遠石工の話をして頂きました。 

  石工の仕事は、石仏・石塔・石橋・鳥居・石垣等それぞれの分野に専業化されていたそうで、

依頼主の所に出向いて細工をする旅稼ぎの石工として活躍したそうです。 

 活動範囲は、北は八戸から南は山口まで、千数百人の名簿が残っているそうで、名簿を見せて下さいました。 

 江戸前期には石仏造りも活発化してきたそうで、

1691年内藤家が藩主となってからより盛んになったそうです。 

  守屋貞治は石仏製作が専門で、20代で自立し、68歳で亡くなるまでに336体の石仏を作ったそうです。 

  近くに守屋家の菩提寺でもあり、守屋貞治の石仏がある寺があるという事で、案内して頂く事になりました。

   葉桜となった、高遠城址に上り、月蔵山の麓に向かった所に、お目当ての寺・桂泉寺はありました。

   
   
   
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