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忠恒公が、大阪夏の陣(1615)に持ち帰ったとされるアズマヒガンの変種の桜、今年は花をつけたのかな。

御柱の建った多宝塔がありました。

 上社本宮に御神体として安置されていた、鉄塔(弘法大師が建てたものだそうですが、腐食

、源頼朝が再興、現在のものは忠恒が1631年に石造にて復興したもの)が廃仏毀釈で破棄され、

温泉寺に移されたそうで、昭和53に多宝塔を造り、納められたのは昭和54年になってからだそうです。

 御柱の存在はなかなか解釈が難しそうです。

 境内にある、地蔵尊金佛は願王和尚が京都九条関白家から拝領したものだそうです。  

本堂・温泉寺は、明治3年の火災で焼失、明治になって廃城となった高島城の能舞台を移築したものだそうです。

   

延命地蔵大菩薩・手に持つ金属製の錫杖が気になります。

  貞治なら取れてしまう様な錫杖は作りそうもありませんし、最初からこのスタイルだったのでしょうか。 

 貞治59歳の作・家老千野氏奉納。

   
   
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