赤彦が諏訪に戻ってから、大正15年に書斎として増築された部屋。
赤彦臨終の間ともなった所だそうです。 奥の10帖は、養祖父が教えた手習い所。
建物の奥には、妹の田鶴と長女・うたが親しくなった井戸。
最初の妻・うたは結婚4年で死亡、養父に請われて妹のふじのと結婚。
ふじのは、歌人としては不二子としたそうです。
俊彦が、アララギで何で、島木赤彦と名乗ったかは不明だそうです。
赤彦歌碑・湖の氷はとけて・・。
山房は火災の後に建てられたものだそうですが、蔵もその時のものだそうです。