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館長さんに、武井武雄の生涯とそこに残した作品について説明して頂きました。  日本童画家展作品。

   

本そのものの制作にも繋がった、版画の作品。

   

武井武雄は東京美術学校に油彩画を学びに行ったそうですが、

前回の丸山晩霞同様黒田清輝の作風に合わなかったのか、独自の道を作って行ったそうです。 

 武井武雄が童画の世界に入ったのは、画家としての最初の仕事が

婦人之友社の子供之友の絵のいらいだったからかもしれません。 

  武井武雄が手掛けた作品には4っのジャンルがあるそうで、

@は童画で童話の添え物ぐらいに考えられていた絵を、子供にこそ本物の絵を、

子供の心にふれる絵をという事で、童画という言葉とともに一つの世界を作って行ったのだそうです。 

 1927年に6人で日本童画家協会を立ち上げたそうです。 

 1945年には岡谷に疎開、空襲で池袋の家も焼失してしまったそうですが、

終戦翌年の1946年には日本童画会を再結成、1965年・71才の頃も日本童画家展に作品を出展していたそうです。 

 Aは版画だそうで、木版画、銅版画等をてがけ、自彫の童画・本も多数あるそうです。 

  Bは新作玩具で、大正末期から昭和初期には、子供の玩具の重要性を知り、

日本の郷土玩具を研究・新作玩具の創作も行ったそうです。 

  又、北原白秋銘々の蛍の塔という日本郷土玩具陳列館も造ったそうです。 

 Cは89才で亡くなるまでのライフワークとなった刊本の制作だそうです。     

   
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