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薬師堂の薬師如来は江音寺瑠璃光薬師如来として、

阿弥陀堂の阿弥陀如来は、江音寺本尊として祀られているそうです。

  大安寺も有賀峠の登り口にある江音寺のあたりにあったのかもしれません。  

 ここ南宮社跡には、平成七年に再建された新しい碑が立っていました。

  以前は、石祠の本殿があったそうですが、明治42年神社の統合問題もあり

西堀の村社・八幡社の境内へ移転されたそうです。 

 ただ、大安寺の洪水の有った時よりさらに前の鎌倉時代の諏訪湖の図には、

この辺りに御神渡個所の標点となる南宮木と濱南宮が描かれていたそうなので、

洪水の前から有った事になりそうです。 

  祭神は建御名方命だそうで、湖上安全、漁の神とされている様ですが、

他県では南宮社というと祭神は建御名方命の所もあるそうですが、

金山彦命・鉱山の神の所が多い様です。  

 建御名方命にも鉱山神の一面があるようで、

鉱山も近くにあつたであろう大安寺の境内に南宮社があり、

砂鉄でも取れたのか何等かの鉱山関連の産業がこの地にあり、

南宮社が大安寺から勧進されたのかもしれない、などと想像しながら、先へすすみます。

横河川河口に出て、大安寺の方を眺めます。  

この辺りの田んぼは、湊の人のが耕作しておられたそうで、

また江戸時代には高島藩の水鳥等の御狩場でもあったそうです。 

  明治になって、岡谷での製糸業が栄え、風光明媚な湖岸には、

製糸家の別宅や接待所も造られていたそうで、

ここ横河川河口には千鳥園という大きな接待所があったそうです。 

  湖岸の道を釜口水門に向かって行くと、湖畔公園に木造三階建ての建物が見えてきます。

  壁には山二の字がみえます。 

 ここは明治22年創業の山二製糸・現笠原グループさんの接待所だった所だそうです。

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