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第百九十二回自然と歴史探訪[御射山祭と霧ヶ峰まつむし草]

放生池。 
小林一茶句碑・七番日記より。 

下社・御射山神社

 諏訪大社の特殊神事の一つ御射山祭が、8/26日から、上社・原山、下社・武居二上峰で3日間行われます。 

  上社の御射山神社へは、マリオ倶楽部でも67171回と2回訪れていますが、

下社の御射山神社へは、天婦羅会の食材探しに2005年に訪れただけです。  

  今回は、御狩り神事にかかわる下社の神社を訪ねようと企画された様です。 

  朝方まで降っていた雨も上がり、日差しも出てきました。 

  バスは、秋宮の脇の細い道を上がり蓼ノ海へ出る道を左に分かれ暫く行くと、

祭りが近いので良く整備された神社の駐車場へと出ます。 

  鳥居の前には、今年は東北でも多い熊への注意看板と、一茶の穂屋を読んた句碑がありました。 

    一茶は幕末の俳人、江戸時代は高島藩が中心だったので、

御射山祭りも上社の方が盛んだったと思われますので、

一茶の訪れたのも下社ではなく上社の御射山神社だったかもしれません。 

  下社の御射山祭を取り仕切って来た、金刺氏も上社との抗争で室町時代中頃に下社も焼かれ、

大城(山吹城)にこもったが、戦国時代に入り大城も落城、

武田信玄の下で再興を図ったが1518年には金刺一族は滅亡、

大祝家の分流・今井氏が武居祝として神事を引き継いだのだそうです。   

 信玄が諏訪を統合した後に、上社・下社の祭祀が再興されたそうで、信玄生前の1570年頃までは、

下社の御射山祭は旧御射山で行われていた様です。 

 1582年に織田軍により上社も焼かれ、神社としての旧御射山での祭りの運営も困難になり、

ここ武居入の二上峰に奥宮を移したのだそうです。  

  時期は安土桃山末の慶長元年とも江戸初期の元禄の頃ともいわれている様です。

 

 

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