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ここ前山寺に、マリオ倶楽部で訪れるのは今回が3回目でいずれも10年ほど前になりますが、 三重塔を始めお寺の雰囲気も当時と変わらぬ落ち着きを感じます。 前山寺は、開創は平安初期ですが、長秀上人が、開創時の正法院を 現在の地に移し前山寺として開山したのは南北朝時代へと変わる時期だそうで、 塩田北条氏が、鎌倉へ引き上げる2年ほど前だった様です。 その後、塩田城は信玄が進出してくるまでは、村上氏の支配下になったそうです。 北条氏の居た時は、塩田城の位置づけも重く祈願所となった前山寺も急速に発展し、 常法談林書として四十数ケ寺の末寺を持つ様になったそうです。 三重塔が建てられたのは、室町時代後期になってからだそうで、 村上氏も小県一帯を支配する様になり、塩田城の存在価値が下がって あまり建設資金援助が得られなかったのか、時代の代わり目も近く政情不安で大工集団が手をひいたのかは、
わかりませんが、塔の建築は完成を待たずに終了しているそうです。 |
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塔の高さは19.5m、和様(80%)、唐様・禅宗様(20%)の折衷の建物だそうです。 一層は完成しているが、二層三層は、扉も窓も無く、縁と手摺も無く貫だけが造られているそうです。 軒の垂木は、和様の平行垂木で、一層には唐様の造の木鼻が付いてすますが、 眼の位置が高く、低脳の木鼻と呼ばれる事もあるそうです。 北側・二層には大日如来、一層には釈迦如来、一層西に阿弥陀如来、 南に寶生如来、東に阿閦如来と五智如来の扁額がかかっていました。 塔の内部は見て居ませんが、須弥壇があるが、四天柱はなく、格天井になっているそうです。 須弥壇の上には大日如来を中心に、五智如来が並んでいるのかと思っていましたが、
木製の五輪塔と上人像が置かれているだけだそうで、ガランとしているとか。 |
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