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奥の真田神社本殿。 | |
社名の真の字は、当用漢字には無い字ですが、 真田本家ではこの字が使われているそうで、許可をもらって使っているそうです。
祭神は、真田幸隆・昌幸・信幸・信繁公と地元長村の西南〜大東亜戦争の英霊149柱だそうです。 |
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真田神社の鬼瓦・山家神社の屋根の吹き替えと一緒に、平成8年に屋根の葺き替えが行われたそうてす。 神社に似合わぬ碑がありました。 もっともここは、岩井山理智院白山寺という天台宗の寺院の跡地だから不思議はありませんが、 白山寺が廃寺になった時、本尊・十一面観音は実相院に仁王像は鹿教湯文殊堂に移されたそうです。
この大勢至菩薩碑は、真田幸隆が山家神社奥社殿を修復した時の碑だそうです。 |
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真田山種月院長谷寺:曹洞宗 |
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長谷寺は、真田幸隆によつて造られたそうです。 真田幸隆が武田信虎・村上義清連合軍による海野平合戦に敗れ、 上野へ逃れその後、武田家も信虎が追われ、信玄の時代になってからは、 幸隆は信玄の配下の武田軍信州先鋒となって力をつけてきたそうです。 そんな折、1547年・天文16年まだ村上義清が砥石城にあって、真田の地も支配していた時に、 松尾城にあった無住の種月庵に上州安中の長源寺より晃運和尚を招いて創建したのが長谷寺だそうです。 上州街道にもあって、砥石城の情報集めもかねて、幸隆が造ったのかもしれません。 砥石城を幸隆が攻略したのは4年後の1551年です。
長谷寺入口には、松尾城の桝形も残っていました。 |
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