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上田城が修復なったのは、信之が1622年に信濃国松代藩に十三萬石に加増移封され、 その後に小諸藩の二代藩主仙石忠政が六万石に加増上田に移封され、 更に徳川秀忠も亡くなり、三代家光の代になった寛永3年(1626)の事だそうで、 真田信之は上田の領主にはなったが、城主にはならずに松代に行った事になる様です。 その後仙石氏は三代上田城主を務めた後、 1706年に但馬出石藩・松平忠周氏と交代し幕末に至ったそうです。 |
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櫓門左は尼ケ淵。 |
右は内堀で水が張られていました。 |
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南櫓の石落とし。 |
櫓門石垣の大石・真田石。 |
真田石は太郎山から掘り出し礎石にしたものだそうで、石垣の石材の大半は太郎山の緑色凝灰岩だそうです。 右の石垣が飛び出しているのは、攻め込む敵の右肩を狙いやすくしたものだとか。
城門は平成6年に復元されたものだそうです。 |
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城門を入ると、すぐに靖国鳥居があります。 廃藩置県後の明治7年に民間に払い下げになり、本丸付近を丸山平八郎氏が一括購入したそうです。 真田神社は、明治12年に藩主であった松平氏をしのび松平神社を造ったのが始まりだそうです。 明治26年には、本丸付近を丸山氏が神社に寄付し、大正14年には神社以外の土地は上田市に寄付されたそうです。 昭和28年には、歴代城主を合祀して上田神社としたそうですが、 同名他社と紛らわしいので昭和38年に真田神社と改名したそうです。 神社の屋根・垂幕には、中央に六文銭・真田、右に永楽銭・仙石、
左に五三桐・松平氏の家紋が描かれていました。 |
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