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新羅三郎以来の武田氏の庇護の厚かった寺なので、もっと武田菱が見られるかと思いましたが、現れたのはここだけでした。

   
   
大悲閣・観音堂。 

参道には、何故か聖観音菩薩だけが多く並んでいました。

   
   

マリオ倶楽部でここ海岸寺を訪れたのは、第102003年ですから、もう18年も前の事になります。 

 その時はまだ、飛騨の匠の作とされていたそうですが、横山先生の働きかけで調査は進み、

1845年から20年かけて立川流二代目・立川和四郎冨昌により造られたものだとわかったそうです。  

 室町時代の旧観音堂も2度の火災にもあわず、村山西割の聖観音堂として移築されているとか。 

 行基菩薩は、同一木から聖観音と千手千眼観音を造り、

千手千眼観音はここ旧津金寺に、聖観音は立科町の津金寺におさめられたそうです。 

 ここには、国指定重要文化財の木造千手観音(藤原期の寄木造り)が有ったそうですが、

1931年盗難に遭って未だ帰らず、今は二代目の千手観音様がおられるそうです。

   
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