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本堂・福聚殿・1661年山火事で全焼、1671年再建-1988年修復。 717年・行基菩薩が庵を構え、千手千眼観世音を彫り祀ったのが寺の始まりで、 最初は律宗の寺で、立科、佐久穂町と合わせ三津金寺だったそうです。 737年には聖武天皇より、光明殿の勅額を賜るほどだったとか。 1368〜75年武田信清の孫・清武が鎌倉・建長寺から石室善玖和尚を招き、臨済宗に改宗、海岸寺として中興開山したそうです。
1582年織田軍の兵火で焼失、1583年徳川家康の寺領寄進により、徳川の祈願所として再建されたそうです。 |
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本堂前の木造仏。 本堂前には、六体の保存の良い石仏がありました。 西国三十三観音だそうです。 この寺に、守屋貞治の石仏が多いのは、 当寺の桃渓和尚が温泉寺の願王和尚と親交があり、弟子である守屋貞治に作製が依頼されたからだそうです。
守屋貞治が、50歳を過ぎた8年間で製作にあたったそうです。 |
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守屋貞治・聖観音。 守屋貞治の弟子かな・聖観音・この作者のものが結構あります。 |
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