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ちょっといっぷく:ライフプラザマリオ |
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昼食はマリオさんに戻って頂きました。 時間の都合で、午後からは自分の車での移動となるので、ビールもノンアルコールで乾杯。 食事の後は、デザートを頂きながら、下社とも関連の深い金刺氏についてちょっと復習。 諏訪大社を知るには、神社・神宮寺の他にもう一つ大祝の存在があります。 祝職は神主・禰宜の次位となりますが、大祝は土地の権力者がなり、 上社では神直系の現人神という事で、神職の上位に位置していた様です。 下社の大祝として、室町末までいたものとして金刺氏があります。 金刺氏の始祖は、科野国造としてBC97~BC30年頃にやって来た武五百建命に始まるそうです。 欽明天皇(539~571)の時に金刺宮に仕え金刺舎人の職名を貰った、科野金弓君が金刺を名乗った初めの人となる様です。 587年金刺乙頴が上社大祝となり、743年には聖武天皇の勅願で上社神宮寺が出来たとか。 諏訪有員が上社大祝になったのは、平安中期の965~1025頃になります。 一方、下社では弘法大師が下神宮寺を造ったとすると、806年頃で、
金刺貞継が下社大祝となったのは863年と、かなり神社の形が整った後となります。
午後からは、熊沢会長の用意して下さった、下神宮寺の絵図をもとに、神宮寺跡を訪ねる事になりました。 |
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会長作成の下神宮寺絵図。 |
前回八釼神社で見た、御枕屏風の下神宮寺。 |
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