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千匹馬・1862年。  
   
   

仲仙寺の絵馬・1796年がありました。  仲仙寺本堂の改築・1778年の済んだ後の絵馬です。 

 描かれた寺紋を見ると、左三つ葉葵・中央菊・右五七桐が描かれています。 

 前回訪れた時も、本坊の扉には五三桐、本堂の屋根には五七桐があるのは何故かと思っていました。 

 仲仙寺開山は小笠原氏なので、松本の広沢寺同様三階菱かと思っていましたが、

二種類の桐紋なので、小笠原氏以外に誰か居たのかと気になっていました。 

 絵馬に描かれた、左右の紋を見ると、これはやはり開山した人の紋の様で、

小笠原氏の家紋を調べなおしてみたら、有りました、絵馬の様な桐紋で、五三・五七両方の紋も使っていた様です。 

 それでは、何故本坊は五三桐で、本殿は五七桐なのかと考えると、

もしかすると仲仙寺の創建当初は五三桐だけで、本坊の方が古くそれが残っており、

本堂の方は1778年に改築されその時に、三つ葉葵と五七桐になったのかもしれないなと勝手に想像してみました。 

 それでは改修時に資金を出した三つ葉葵は誰なのかと考えてみると、

高遠藩主で後に会津藩主となった保科正之がいますが、正之が出羽へ移ったのが1636年と改築時期とは合わず、

又会津葵の形も違うので保科氏でもなさそうです。 

 紋の形から見ると、江戸・徳川の紋の様で、この辺りは小笠原氏が移ってからは、

高遠藩になったり、天領になったりしており、伊那が再度高遠藩に戻っても一部が幕府直轄だった事もあった様で、

三つ葉葵が付いたのも、幕府からの資金が出たからかもしれません。  

 今の本堂からは、三つ葉葵の紋が消えていますが、江戸時代には三つ葉葵の使用をかなり制限したので、何時のころからか消されたのかもしれません。

   

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