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本殿脇に石垣に囲まれた、右・八幡社と左・若宮社がありました。 八幡社は神護寺八幡小路に有ったもの、若宮社は金刺大祝下屋敷に有ったものを明治42年にここに移したものでそうです。 この近くの神護寺というと春宮神宮寺・観照寺の事でしょうか。 金刺大祝下屋敷に有った若宮は建御名方命の子十三神を祀ったものではなく、 その中の水内・長野の治水の神・妻科比売命を祭神とするものだそうで、 金刺氏の祖先が科野国造として水内の辺りを治めた名残でしょうか。 長地のスクモ塚古墳も、金刺氏のものではとのことでした。
金刺邸跡の碑は、東山田の通り沿いではなく、砥川少し下った辺りにあるそうです。 |
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本殿上の山には、各地の霊場から勧進した碑が並びます。
石が手に入り安くなった明治以降の碑が多い様です。 |
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念仏ばあさん・1697、熊野神社が下に下りたのもこの頃。 | 馬頭観世音、1862年。 |
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摩利支天像・1867年、陽炎の女神、鉢伏山にもありました。 |
不動明王像。 |
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