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第二百十二回自然と歴史探訪[諏訪大社春宮の膝元・東山田を訪ねて]

諏訪大社春宮。 熊野神社。

熊野神社:

今回最初の訪問先は、金刺氏の居館や諏訪大社春宮五官の住まいのあった東山田にある熊野神社です。  

  マリオ倶楽部でも2006年の50回に北沢先生の案内で訪れた事があります。  

 今回は、地元東山田にお住まいで、郷土史にも明るい宮坂源吉先生が案内して下さるという事で、また新たな出会いが期待できそうです。 

  バスは春宮の参道を抜けて東山田へと向かいます。   春宮はバスの中からお参り。  

 マイクロバスで通るのはチョットきつそうな、東山田旧中所前にある法泉寺の角をすり抜けて熊野神社へと向かいます。 

   神社では、今回案内していただける、宮沢・高木の両先生がすでに待っておられました。 

   鳥居の脇で先生方の紹介をして頂き、先生から頂いた資料を基に、早速熊野神社の説明をして頂きました。  

  東山田の熊野神社は、江戸時代初期幕府から、一村一寺一社配せとの沙汰があり、

東山田には春宮の五官が住まい、春宮は村社の様なものでしたが、一宮なので

鎌倉初期・1311に山の中腹の竹原に造られた修験道・権現堂を現在地に下げて、

行屋と分離し熊野三社を勧進して熊野社としたのだそうです。 

  神社の施主は藩主で、社殿・石段・石鳥居が造られたそうです。  

  江戸幕府が宗教界を幕政に取り込む為に寺講制度を取り、本末制度・檀家制度を取ったのが1614年、

それにより寺の勢力拡大が進み、寺社奉行が出来、新寺建立禁止が行われたのが1659年で、

水戸光圀が一村一鎮守としたのが1666年だそうですから、熊野神社が造られたのもこの頃かもしれません。  

 高島藩主三代忠晴・1657年から、四代忠虎・1695年の頃の事でしょうか。

   
   
   
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