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本堂の前には、観音様だと思えますが、地蔵様の様に赤いエプロンを付けた方が居られました。

寺には、石川数正夫妻の供養塔がありました。  

 石川数正は徳川譜代の重臣だったそうですが、

後に秀吉の家臣となり、1590年に松本藩初代藩主なったそうで、

松本城・町を整備、天守閣を造営したそうです。 

  林城落城後衰退していた兎川寺も復興したそうで、

数正は朝鮮出兵で病死したそうですが、その供養塔が兎川寺に造られたのだそうです。

近くには石仏が並んでいました・明治の頃の比較的新しそうな物もありました。 

   百体には足らないようでしたが、よく見ると色々な像があります。 

 中には彩色の残っている像も。  
   
   
   
   
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