現在の天守台は少し低くなったが、大火翌年の1658年に加賀の前田家が造り直したものだそうです。
天守の方は、会津藩主・保科正之の勧めもあって、
町の再建を優先させ、その後は再建されなかったそうです。
北桔橋門の向こうには、国技館の屋根が見えます。
北桔橋門・いざという時の脱出路で、通常は橋を跳ね上げ使われなかったそうです。
城壁は江戸城の中で最も高く、屏風折にして防御を固めてあるそうです。