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第二百九回自然と歴史探訪[会田進先生の考古学講座―その2

講師・会田進先生。

講演会:諏訪の政治の中心地・榎垣外遺跡

昨年の暮れ・207回のマリオ倶楽部で会田先生に縄文時代の岡谷の話をして頂きました。 

  今回はその続編として、岡谷が諏訪地方の政治の中心だった奈良から平安初期の8世紀の榎垣外の話をして頂きます。 

   という事で、今回もマリオさんで講義を受けて、その後に現地を周ってみようという事になりました。 

  大和朝廷による国が誕生し、国造が各地に赴き、国家権力の及ぶ場を作って行き、

645年・飛鳥には大化の改新により公地公民の地方行政組織が造られ、科野の国にも国司が派遣されたそうです。  

 701年・奈良には大宝律令で地方行政を豪族支配から、国郡郷里制の地方行政制度を取った中央集権に変えていったそうです。  

  この頃岡谷は土武郷だったそうです。 

    723年には開墾が推進され、それを広める為に743年には開墾地の永年私有が認められる様になり、

荘園(私有地)が出来て行ったそうです。  

  榎垣外遺跡は、平成10年に始まる県単道路改良工事以降、遺跡の調査が行われ、

奈良・平安の集落の多い岡谷市最大の遺跡である事がわかったそうです。  

 弥生時代には,目切り・中屋の近くに600軒ほどあった村のあたりから、

奈良になって榎垣外へと一気に広がって行ったそうです。

   
   
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