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第一号石堰堤跡。 

階段工上部の飛び石。

大きな石は明治の一号石堰堤、小さな石積は大正の階段工、接合部が一部残っていました。

飛び石伝いに左岸に渡った所で、牛伏川の砂防工事の様子を説明して頂きました。

  牛伏川は、暴れ川で記録の残る1690年・江戸から1896年・明治29200年の間に16回も災害を起こしていたそうです。

 明治以降の人口増加に対応すべく、政府は新潟の米の増産、港湾整備を進めるにあたり、

牛伏川の砂防が重要という事で、明治18年・1885内務省土木局の直轄工事としてスタートしたそうです。

  明治31年・1898には国庫補助事業として長野県が引き継ぎ、日露戦争の2年間ほど休んだ時が有ったが、

大正7年まで工事は続けられたそうです。 

 工事の対象面積は、諏訪湖の1.5倍ほどだそうで、

明治35年・1902に越中の石工職人50人が確保出来、100基を超える石堰堤が造られたそうです。  

 当時の工事事務所がこの辺りに有ったそうです。

堰堤上の左右の袖・越中石工。

袖は、水の勢いを抑え、方向も決めるものだそうです。

   
   
   
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