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絵島生島事件では、大奥・月光院(七代家継の生母)と天英院(六代家宣の正室)の対立、 家継・6才の補佐役と幕臣による幕政の対立、大奥財政の逼迫もあって、大幅な粛清が行われたのだそうです。 御年寄の絵島が高遠に流されたのは1714年、絵島34歳の時だそうです。 最初は非持村火打平に置かれたそうですが、家継の死後3年後の1719年に城内の三の丸の囲い屋敷に移され、 1722年八代吉宗の恩赦により、裏ではほぼ自由の身となったそうで、 城下にある日蓮宗の蓮華寺にも良く出かけたそうです。 生活は質素で、61歳で高遠で生涯を終えたそうです。 死後は蓮華寺に埋葬されていたそうですが、忘れられており、 田山花袋が絵島の墓を訪ねてから知られる様になったのだそうです。 館内で、一通り館長さんの説明を聞いてから、外の絵島囲み屋敷を見学します。 囲み屋敷は、三の丸に有ったものを、再現したものでしょうか、
図面が残っており、かなり正確に再現されているとの事でした。 |
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囲み屋敷図面。 | 下女詰所。 |
内藤氏が絵島の扱いで老中と交わした制約事項が書かれていました。 |
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絵島の部屋・はめ殺しの格子戸が、幽閉の身である事を物語っています。 台所。
博物館二階には、守屋貞治の作品記録・石仏菩薩細工も展示されているそうですが、今日の見学はここまで。 |
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