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一渡り見学を済ませた所で、お茶をご馳走になりながら加藤住職に色々とお話をうかがう事ができました。

  ここ松尾山善光寺では、皇極2(643)に伽藍造営の勅許を受けて、

松尾大明神の地に七堂伽藍を造り645年から7年間阿弥陀如来はこの地にとどまりその後、

長野へ移ったといわれているそうです。 

 だとすると、長野へ移ったのは、7年目とすると、652年という事になります。

  長野の善光寺さんのホームページを見ると、善光寺縁起によるものか、

皇極元年(642)には長野に居り、2年後の644年には伽藍も造営されたとされています。  

 今月訪れた元善光寺さんの話では、推古天皇10(602)から41年間座光寺にとどまったという事なので、

座光寺から直接善光寺に移ったら、年号としても辻褄が合うようです。 

  もっとも、無宗派とはいえ、長野善光寺は大勧進・天台宗に守られて来た所が多く、

元善光寺も天台宗であり、天台宗の中では一つの善光寺縁起で統一されているのかもしれません。 

 善光寺縁起は平安末期にかけて、多くの説がある様で、

平安時代の天台宗の僧・皇円の記述によると、信濃の国に阿弥陀像を運んだのは、

秦巨勢太夫だとあるそうで、本多善光さんが出てくる縁起は、もう少し後の縁起からだともいわれている様です。 

 いずれにしろ、645年というと大化改新の年でもあり、

蘇我氏、物部氏に関わる渡来人の動きも活発になって来る時代の話で、何かと興味のひかれる所です。

   住職によると、松尾山は金山でもあったそうで、

渡来人の技術者が立ち寄っても不思議ではなかった所の様です。 

 大化改新の孝徳天皇がなくなったのは653年、当時は天皇が変わるごとに遷都をしたといわれる頃で、

阿弥陀様の移動にも何か関わりがあったのかもしれません。

御住職と御大黒様に見送られ、寺を後にします。  

 最後は、車の中から西山公園の桜・ソメイヨシノと高島城の桜を眺めて帰途に就きました。   

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