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手塚の里:

塩田平には手塚地区という所が残っているそうで、

そこには手塚太郎金刺光盛の館跡や光盛の娘にちなんだ唐糸観音が残っているという事で訪ねてみました。 

 案内板で確認、前方にちょっと気になる建物が見えました。

  さくら国際高等学校・旧西塩田小学校だそうです。

館跡は細い道をちょっと上がった所にありました。  

黒門の所が館跡、奥には赤い屋根の唐糸観音がみえました。 

 供養塔の手塚太郎五輪塔も残っているそうですが、今は個人のお屋敷だそうで中へは入れません。 

 手塚一族は頼朝に手塚地区を追われ、国分寺に近い須川地区に逃れたそうです。

  塩田の里交流館の前には光盛出陣おりについたとされる馬の足跡や、

富士山地区には巴御前と兄・金刺盛澄の娘で木曽義仲の妻・山吹の供養の五輪塔もあるそうです。

手塚八幡社:

手塚の里を上って行った所に手塚八幡社はありました。  参道脇に金毘羅宮。

  八幡社は、平安初期に山城国八幡宮から勧請された地元の産土神だそうです。  

神社へはここから長い階段を上っていきます。

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