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今回修復なった、諏訪大明神本地仏普賢菩薩騎象像。 

 象座はヒノキの寄木造りの6本牙の雄象で、

鎌倉時代に伊那の豪族・が知久氏普賢堂を建てた頃のものだそうです。 

 敷布や牙先等修理。  象座には3体の体内仏。 

 普賢菩薩坐像は1593年京都の大仏師・民部法眼康俊によるものだそうです。 

 1582年の織田信長の甲州征伐のおりに、諏訪大社上神殿、伽藍は焼失したそうで、

その時本地仏の普賢菩薩像も焼かれたという記録もあるそうです。 

 神宮寺は1588年に諏訪頼忠によって再興されているそうで、

本地仏の修復にはもう少し時間がかかった様です。

  諏訪での廃仏毀釈の動きは早かった様で、普賢堂にあったこの普賢菩薩像と、

脇侍の文殊菩薩が仏法寺に移されたのか、明治に年号が変わる前の慶応46月だったとか。

  それ以前に破壊され破棄されたものが、一時神宮寺の檀家の方に避難していた事もあるそうで、

仏法寺に来た時は両菩薩像とも、眼抜き(魂を抜き、神ではなくする。) された状態だったそうです。

  菩薩坐像は、両眼、頭部髪等がなかったそうです。  

 胎内仏として、高さ3cmの木造普賢菩薩騎象像が収められていたそうです。 

 神宮寺の建物は、仏法寺等が移築保存の申請をしたそうですが、

結局認められず、明治2年ごろには取り壊しとなったそうです。 

 普賢堂・五重塔は真志野村(諏訪市)50両で落札、再建出来る様丁寧に解体されたそうです。

文殊菩薩騎獅像。 

 普賢堂で、普賢菩薩騎象像の脇仏で、普賢菩薩像と一緒に仏法寺に移されたそうです。 

 本地仏の普賢菩薩坐像の再造像された頃の、作られた物ではないかとの事です。 

 弘法大師の御作との文書もあるそうで、本地仏が焼かれた際に、

普賢堂にあった文殊菩薩像も焼かれてしまったのかもしれません。

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