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真田親子の墓の脇に新しく造られた真田幸村の供養塔がありました。

  松代の長国寺にも、昌幸・幸村公の供養塔がありました。 

  幸隆公は、1574年に砥石城で病死、昌幸公は1611年に九度山で病死という事で、

何等か遺品が埋葬されたのでしょうが、幸村公の死は場所も、

時代も不明のため、墓とはならなかったものと思われます。 

  信幸公が松代へ移封のおり、六代目住職が同行、長国寺を建立したそうです。

前方の山は、真田本城だそうです。 

 真田の山城は、鎌倉時代に造られたものだそうで、村上義清は、真田を追った後は砥石城を本拠とし、

真田に戻った幸隆は真田本城を本拠地とし、砥石城番をしていたそうです。

帰りは再びもと来た道を戻ります、雨に濡れた生島神社の鳥居をながめ、

下諏訪に着いた時にはちょうど雨も上がっていました。 

 台風接近の中、休憩・移動の間は雨も降りましたが、幸い見学の間はほとんど雨に合わずにすごせました。

  これも、お願いした神々のおかげかもしれません。   感謝・感謝。

写真を整理している時たまたま点けたTVで大河ドラマ・真田丸をみました。 

 ドラマを見たのは初めてでしたか、丁度今回出かけた上田城の第二回上田合戦をやっており、

ついつい最後まで見ることになりました。

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