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仁王像・建物同様江戸中期のものかな。

            観音堂・江戸中期・1713年・市指定文化財。

本堂は慶長の大火で焼失、1622年に再建されたそうですが、

現在の建物は、1712年に観音堂として再建されたものだそうです。  

本堂には、神仏習合の名残りが、立派な注連縄が張られていました。

  聖徳太子42歳の時の発願の観音像を鉢伏山安置したのが、寺の始まりとされているそうで、

山頂に鉢伏権現、里寺として、鉢伏山中腹の蓬堂・堂平のあたりに普賢院が造られたのが始まりだそうです。 

 聖徳太子が42歳というと616年、元善光寺に一光三尊像が来たのが602年、

聖徳太子が国の立て直しに仏教を取り入れ、普及を図ったのも確かですが、

この頃は渡来人による国内での仏像造りが始まったころで、

仏像彫刻の技術が取り入れられたのもう少し後の遣唐使の頃からだそうですから、

聖徳太子が造らせたとしても彫刻品ではなく、型押しした様なものだったかもしれません。

  それに寺の名前からすると、観音菩薩ではなく、普賢菩薩だったのかもとか、色々想像されます。

屋根の龍。 

兎毛通・飛龍。

   
   
   
   
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