4/15

麻生さんの案内はここまで、3階には、寮歌が聞けるコーナーや映像シアターがあるという事で上ってみます。

  松高の寮・思誠寮は大学移行した後も、10年ほどは残っていたそうですが、

昭和58年には寮も移転となり、取り壊しとなったそうです。  

 その時、寮に残っていた、落書き200点ほどを保管したそうで、

一部が3階に上る階段の所に展示されていました。 

 (北杜夫氏の落書きは、2の北杜夫コーナーに展示されています。)

寮歌ライブラリー・全国の旧制高等学校の寮歌・校歌が聞けるようになっているそうです。 

 200曲ほど収録されているとか。  

 壁には、八高・名古屋大の寮歌・春三月の額がありました。

旧制高校の校舎の保存は、すんなりと決まったわけではなく、旭町のキャンパスの拡充を目的に、

大学と国は校舎の取り壊しに動いたそうですが、隣接する県立高校が火災に合い、

仮校舎として県が1年間借用する事になったそうです。 

 その間に、同窓生の保存運動だけでは行き詰っていた所、

松本高校の最終回生だった映画監督・熊井氏の呼びかけで市民運動へと広がり、

松本市として一部を買い取る事になったのだそうです。  

 三階の一画で、懐かしいものを見つけました。 

 新潟高校の六華寮の看板です。 

 自宅から通っていたので、寮には御厄介にならずにすごしましたが、

私の入った新制大学の時は、名前も六花寮に変わっていました。  

寺社一覧へ 目次へ・・・次ページ・・・・戻る